描けないのは、自分の中にまだ情報がないだけ
学校の図工の時間。
「にわとりを描いてみよう」と言われて、目の前にあるのは真っ白な画用紙だけ。
資料があるわけでも、目の前に本物がいるわけでもない。ただ自分の記憶を頼りに、その場を切り抜けなきゃいけない。
でも、わが子のなかに、まだ「にわとりの情報」が十分に入っていないとしたら。本物の羽の硬さも、つつかれた時の痛みも、鳴き声の大きさも、まだ実感として知らないとしたら。
ないものは、出せません。
「にわとりってどんなだっけ?」と考えても、何も浮かんでこない。

無理やり手を動かそうとしても、なんだか動かない。
それは、まだ食べたこともない料理のレシピを、想像だけで書かされているのと同じです。
隣の子が迷いなく描けているのは、その子のなかに、たまたま「描きやすいイメージ」があったから。わが子の筆が止まっているのは、ただ、自分の中の引き出しがまだ空っぽなだけ。
ただ、それだけのことなんです。
🔗 自由帳が真っ白になった日。小学生の「お絵描き」が、そっとお休みに入る理由
「ほかのやり方」を伝えてみる
もしわが子が、図工のあとで「なにも描けなかった」と肩を落としていたら。
こんな「ほかのやり方」を、世間話みたいにそっと話してみませんか。
「にわとりがどんな形か、思い出せないので教えてください」
「にわとりの写真を、見たいです」
そう先生に伝えてみるという、選択肢です。
もしかしたら、
「見たらダメなのかな」
「自分ひとりで思い出さなきゃいけないのかな」
画用紙を前にして、お子さんは「自力でなんとかしなきゃ」というルールの中で、ひとりで我慢していたのかもしれません。

でも、図工の時間は、自分を試すテストではありません。 わからないなら、外から資料を借りてきてもいい。
次、もしまた手が止まってしまったら。 「見せてください」って言ってみるのも、ひとつの手だよ。
そんな風に、ママから「ほかのやり方」を話してあげる。 先生に言えても言えなくても、方法を知っておくことで役に立つことがあります。
| わが子の「ひとりルール」 | ママが教えたい「別の道」 |
|---|---|
| 見たらダメだよね? | 「見たいです」って言っていいんだよ |
| ひとりで思い出さなきゃ! | 資料を借りるのも、立派な図工だよ |
学校の図工は「お仕事」。そう割り切るだけでいい
家で絵を描くのは好きだけど、学校の「図工」はとにかくしんどいという場合は、学校の図工は「お仕事」。そう割り切るだけで、お家での落書きがまた少し自由になります。
お仕事なら、わからないことを「わからない」と言って、資料を借りるのは当たり前のこと。 なんとか時間をやり過ごして、無事に帰ってくる。それだけで、もう100点満点です。

↑これくらい前のめりに行ける子だったらいいですけどね・・・。
学校で決めた「やり方」や「時間」は、わが子が持っている表現とは、全く別の話。
そう言って、お家で誰とも比べられない場所で、自由にペンを走らせるわが子の背中に。 「今日もお仕事おつかれさま」と、心の中で拍手を送ってあげてください。
あの「パンダ銭湯」や「しろくまのパンツ」を生み出した二人の、頭の中をそっとのぞける一冊です。
特別な才能ではなく、ちょっとした「視点のずらし方」で毎日はこんなに楽しくなる。 描けないことに悩むより、身近なものを「面白がる力」を育むヒントが詰まっています。
いっちーのひと言 わが子に「正しい描き方」を教えるのは難しいけれど、ママがこの本を読んで「面白がり方」の引き出しを増やしておく。それが、図工の時間のプレッシャーと戦うお子さんへの、一番心強いエールになるはずです。
ホーム » 「にわとり、どんなだっけ?」で止まっていい図工の時間。
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正解を探すより、
「この子の場合はどうだろう?」と立ち止まる時間を。
※唯一の正解はありません。その子に合うかどうかを、一緒に考えませんか。
\ 答えのない、子育ての迷いの中にいるあなたへ /
ブログでは「教育のヒント」を書いていますが、
実は私自身、毎日が迷いと後悔の連続です。
教科書通りの正解に傷ついたとき、
「この子の場合はどうだろう?」と立ち止まって、
静かに自分と向き合える場所をnoteに作りました。
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いっちー
元教諭(15年+)&プロカメラマン。
わが子の発達グレーやきょうだい児の葛藤に、涙でティッシュの山を築きながら向き合っている現役の母です。
教育の現場を知っているからこそ、外側から「正解」を押しつけられることの息苦しさや、もどかしさを感じてきました。
キラキラした正解の中で、無理をして生きるのはしんどいですよね。
「こうすべき」の前に、「この子の場合はどうだろう?」と、一緒に立ち止まれる場所でありたいと思っています。
子どもの絵に宿るサインや、言葉にならない心の機微をそっと眺めて。
今日をなんとかやり過ごすための「余白」を、一緒に見つけにいきませんか。


