永代供養という言葉を聞いたとき、
「これで、もう誰にも迷惑をかけなくていい」と思いました。
後継ぎがいなくても大丈夫。
お墓を守る人がいなくなっても、供養は続く。

でも調べていく中で、いちばん衝撃だったのは、
「永代供養は、永遠ではない」という事実でした。
この記事では、
永代供養の「永代」が、実際にはどういう意味なのか。
期間・費用・その後の扱いまで、現実的な部分を整理します。
この記事の内容
永代供養とは?家のお墓との違い
永代供養墓とは、家族や子孫に代わって、
寺院や霊園が一定期間、供養と管理を引き受けるお墓です。
従来の「家のお墓」は、代々引き継いで守ることが前提でした。
一方、永代供養は「守る人がいなくなる未来」を想定した仕組みです。
| 項目 | 家墓(従来のお墓) | 永代供養墓 |
|---|---|---|
| 管理 | 家族・子孫が継承 | 寺院・霊園が管理 |
| 供養期間 | 代が続く限り | 33年・50年など期限あり |
| 費用 | 建墓+毎年の管理費 | 一括払いが多い |
| 後継者 | 必要 | 不要 |
| 期限後 | 基本なし | 合同墓(合祀)へ |
墓じまいを考え始めたときの全体像はこちらで整理しています
▶︎ 墓じまいとは?流れ・費用・よくある不安

永代供養は「いつまで」続くのか
「永代」という言葉から、
ずっと個別に供養されるイメージを持つ人は少なくありません。
でも実際には、永代供養の多くは期限付きです。
よくある供養期間は、次のとおりです。
- 33年(忌明けの一区切りとされる年数)
- 50年(子・孫の代までを想定)
たとえば「永代供養33年」の場合、
納骨から33年間は個別で供養され、
その後は合同墓へ移されます。
永代=永久ではない。
ここが、いちばん誤解されやすいポイントです。
合同墓(合祀)とはどういう状態?
供養期間が終わると、遺骨は合同墓(合祀墓)に移されます。
- 複数の遺骨をまとめて安置する
- 寺院・霊園による合同供養が続く
- 一度合祀されると、遺骨の取り出しは不可
「合祀」と聞くと、
放置されるような印象を持つ人もいますが、
供養そのものが終わるわけではありません。
ただ、家のお墓のように
「自分たちで管理する」「いつでも会いに行く」形ではなくなります。
永代供養の費用と、あとからかかるお金
永代供養墓の費用は、
20万〜50万円前後が一般的です。
この中に含まれることが多いのは、
- 個別安置スペースの使用料
- 供養料(読経・法要)
- 管理費(最初に一括で含まれることが多い)
ただし、次のような場合は追加費用が発生することもあります。
- 個別供養期間を延長したい場合
- 特別な法要を希望する場合
- 合祀の時期をずらしたい場合
契約前に、
「どこまでが一括費用に含まれているのか」は必ず確認しておくと安心です。
それでも永代供養が選ばれる理由
- 後継者がいなくても無縁にならない
- 管理費を払い続ける必要がない
- 子どもや孫に負担を残さずに済む
永代供養は、
「すべてを丸投げする供養」ではなく、
負担の引き継ぎを止めるための選択とも言えます。
永代供養以外の供養の形も、比較して考えたい方へ
▶︎ 散骨・手元供養・納骨堂の違い

家族や親族との話し合いで悩んでいる場合は、こちらも参考になります
▶︎ 墓じまいをどう伝える?親族トラブルを避ける考え方
まとめ|「永代」という言葉の中身を知ってから選ぶ
永代供養は、後継者がいなくても供養が続く、心強い仕組みです。
ただし、
永代=永久に個別供養されるわけではありません。
33年、50年という区切りがあり、
その先は合同墓での供養へと形が変わります。
私自身、この「永代じゃない」という事実を知って、
少し戸惑いました。
でも同時に、
だからこそ「ちゃんと知ってから選ぶこと」が大切なんだと感じました。
永代供養を選ぶかどうかではなく、
どういう形で、誰に何を残したいのか。
その整理の一助になれば幸いです。
ホーム » 永代供養は「永遠」じゃなかった|33年後に何が起きるのかを現実的に整理する
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いっちー
元教諭(15年+)&プロカメラマン。
わが子の発達グレーやきょうだい児の葛藤に、涙でティッシュの山を築きながら向き合っている現役の母です。
教育の現場を知っているからこそ、外側から「正解」を押しつけられることの息苦しさや、もどかしさを感じてきました。
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