最近のキャンプギアは、本当に優秀です。
スイッチひとつで安定した火力が手に入り、タイマーが鳴れば、誰でもふっくら美味しいごはんが炊ける。設営だって、昔に比べれば驚くほどスムーズ。

正直、助かっています。
慣れない外での調理で失敗して、子どもをガッカリさせたくない。そんな親心にとって、これほど心強い味方はありません。パパもママも体力を温存できるし、何より「安心」が手に入る。
ふと気づいた、わが子の「手持ち無沙汰」
でも、すべてが計画通りに運び、準備も片付けもあっという間に終わったとき。
ふと横を見ると、わが子はもう、無言でスマホの画面をなぞっていました。

「見ていい?」なんて可愛い確認すらありません。
せっかく重い荷物を運んで、はるばる自然の中に来たのに。
家とまったく同じ姿勢で、青白い光を顔に浴びているわが子の横顔を見て、私は少しだけ立ち止まりました。
——この時間、この子は何をしに来たんだろう。
大人の指示を待つだけの、静かな時間
危ないことは大人が済ませた。
失敗しそうな工程も、最新の道具が肩代わりしてくれた。
安全で、美味しくて、非の打ち所がないはずなのに、そこには「わが子の出番」がなかったんです。
便利なグッズだって、最初は見に来るんです。
でも、「あ、これスイッチ押すだけでしょ」「あとは待つだけでしょ」と理解した瞬間の、スマホに戻る速さといったら……(笑)。
子どもの好奇心って、残酷なほど正直です。
「放っておいても大丈夫」なものには、自分の出番がないことを、本能で察してしまう。
本当はそこにあったはずの、
「火って熱いんだね」
「煙、こっちに来た!」
そんな五感を揺さぶる小さな驚きや、うまくいかなくて試行錯誤する余白。
便利さは、それらまでそっと削ぎ落としてしまっていたのかもしれません。
火を見る時間が、子どもを「参加者」に変えた
便利さが悪いわけじゃない。
ただ、すべてがスムーズに進みすぎて、子どもの心が動く瞬間を、親である私が先回りして摘み取っていたような、そんな寂しさを感じたとき。
あえて「不便な道具」を、場の真ん中に置いてみました。
新聞紙をちぎり、火の様子を伺いながら、じっと釜を見守る15分。

すると、さっきまで画面を凝視していた子が、火の粉が舞うたびに目を輝かせ、パチパチと爆ぜる音に耳を澄ませ始めました。
「次、新聞紙入れる?」
「もう、いい匂いしてきたよ」
そこにあったのは、ただの食事の準備ではありません。
わが子が、キャンプという時間に深く「参加」している姿でした。

結び|便利さを手放すのではなく、「余白」を置く
便利な日は、親の心にゆとりをくれる。
でも、不便な日は、子どもの心に強い記憶を刻んでくれる。
どちらか一方が正解なわけじゃない。
そのときどきで、「子どもの出番」があるかどうかを、少しだけ意識して選んでいきたい。
スマホを置くための魔法は、禁止することではなく、
夢中になれる「面倒な時間」を、そっと差し出すことだったのかもしれません。
※この話は、「防災じゃない顔をした、防災」というテーマの中の一場面です。
次は、何も起きない時間を15分、付きっ切りで過ごした日の話へ。
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ホーム » スマホに戻る速さを見て、立ち止まったキャンプの夜
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正解を探すより、
「この子の場合はどうだろう?」と立ち止まる時間を。
※唯一の正解はありません。その子に合うかどうかを、一緒に考えませんか。
\ 答えのない、子育ての迷いの中にいるあなたへ /
ブログでは「教育のヒント」を書いていますが、
実は私自身、毎日が迷いと後悔の連続です。
教科書通りの正解に傷ついたとき、
「この子の場合はどうだろう?」と立ち止まって、
静かに自分と向き合える場所をnoteに作りました。
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いっちー
元教諭(15年+)&プロカメラマン。
わが子の発達グレーやきょうだい児の葛藤に、涙でティッシュの山を築きながら向き合っている現役の母です。
教育の現場を知っているからこそ、外側から「正解」を押しつけられることの息苦しさや、もどかしさを感じてきました。
キラキラした正解の中で、無理をして生きるのはしんどいですよね。
「こうすべき」の前に、「この子の場合はどうだろう?」と、一緒に立ち止まれる場所でありたいと思っています。
子どもの絵に宿るサインや、言葉にならない心の機微をそっと眺めて。
今日をなんとかやり過ごすための「余白」を、一緒に見つけにいきませんか。


