学校から「自分で計画を立てて、1週間の宿題を管理しましょう」という、通称「マイプラン」のような宿題管理表が配られることがありますよね。
一見すると、「自律を促す素敵な取り組み!」と拍手したくなるような仕組みです。でも、いざ運用が始まってみると、家庭でのリアルな生活と、学校側の「理想」との間に、なんとも言えないズレを感じることはないでしょうか。
今日は、そんな「良かれと思って」の教育が、時に親子の小さなトゲになってしまうお話です。
「理想」と「家庭の事情」がすれ違う瞬間
2学期の個人懇談での出来事です。担任の先生から、わが子のマイプラン表を見ながらこんな指摘を受けました。
「記録を見ると、週の後半にまとめてやっていますね。習い事がある子もいるので、それも含めて、早めに進めるよう声をかけてください」
それを聞いて、私は正直、心のなかで少しだけ絶句してしまいました。 というのも、うちの子、まさにその「週の前半」に習い事がぎっしり詰まっているんです。
物理的に時間がないなかで、なんとかやりくりし、後半に帳尻を合わせている。それがわが子の「計画」であり、精一杯の「自律」の結果でもありました。
先生もきっと、子どもたちが困らないようにとアドバイスをくださったのでしょう。でも、「習い事がある子のために、前倒しを勧めています」という言葉が、今のわが家の状況にはどうしても重ならず、少し寂しいような、苦笑いするしかないような……そんな複雑な気持ちが残りました。
伝えたはずの「合わない」が、届かなかった切なさ
実はその懇談で、どうしてもこの形式が合わないこと、そして「毎日決まった分量が出るスタイル」の方が今は親子ともに落ち着いて取り組めるということを、勇気を出してお伝えしました。
先生も「他にも同じように変更している子がいますよ」と理解を示してくださった……はずでした。
ところが、3学期が始まって配られたのは、相変わらずの「マイプラン」。
「あれ?」と拍子抜けしてしまったのが正直なところです。 先生も日々、何十人もの子どもたちを抱えて試行錯誤されている。それは重々承知しています。でも、一度立ち止まって相談したことが反映されないままだと、親としても「このモヤモヤ、どこへ持っていけばいいんだろう?」と、信頼の糸が少しだけ細くなってしまうのを感じます。
欲しかったのは「技術」ではなく「対話」
もし、学級だよりの端っこにでも、先生の「想い」が綴られていたら、私の受け止め方も違ったかもしれません。
- 「なぜ今、あえて自由に計画を立てる練習をしているのか」
- 「そこにはどんな力を育んでほしいという願いがあるのか」
そんな先生の意図が届いていれば、家での「早くやりなさい」という声かけも、「先生はこんな力をつけたいって言ってたよ。どう工夫してみる?」という並走に変われたかもしれないな、と思うのです。
「マイプラン」という名前の通り、それは本来、その子自身の「マイ(私の)」プラン。 たとえ週の後半に固まっていても、それがその子の生活に合わせた結果なら、一度は「よく帳尻合わせたね」と認めてあげたい。それが、教育現場と家庭が手を取り合える「余白」になるのではないでしょうか。
正解はないけれど、今日も「なんとか」やっていく
いろいろとモヤモヤは尽きません。でも、先生もきっと「もっと良くしたい」という試行錯誤の真っ最中なのでしょう。
今はまだ、学校側の理想とわが家のリアルが、パズルのピースのようにカチッとはまらない時期なのかもしれません。
親としてできるのは、正解を探すことではなく、今のこの「合わなさ」を「うちの子がダメだから」と責めないこと。そして、親子でなんとか今日をやり過ごせたことを、まずはよしとすることかな、と思っています。
皆さんのご家庭では、宿題との距離感、どう保っていますか?
ホーム » 宿題の「セルフ管理」は誰のため?理想と現実のあいだで揺れる親心
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正解を探すより、
「この子の場合はどうだろう?」と立ち止まる時間を。
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いっちー
元教諭(15年+)&プロカメラマン。
わが子の発達グレーやきょうだい児の葛藤に、涙でティッシュの山を築きながら向き合っている現役の母です。
教育の現場を知っているからこそ、外側から「正解」を押しつけられることの息苦しさや、もどかしさを感じてきました。
キラキラした正解の中で、無理をして生きるのはしんどいですよね。
「こうすべき」の前に、「この子の場合はどうだろう?」と、一緒に立ち止まれる場所でありたいと思っています。
子どもの絵に宿るサインや、言葉にならない心の機微をそっと眺めて。
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