便利な道具が増えるほど、親は失敗しなくて済む。
裏を返せば、子どももまた「失敗する機会」を失っていく。
それはきっと、親の優しさから始まったことでした。

「失敗させたくない」が、先に立つとき
外で火を使う。
お米を炊く。
少し風が吹いただけで、火加減は変わるし、新聞紙だって思うようには燃えてくれない。
正直、ヒヤヒヤします。
「危ないから触らないで」
「それはママがやるね」
「もうちょっと待って」
気づけば、口から出るのは制止の言葉ばかり。
失敗して、がっかりする顔を見たくない。
それに、せっかくの時間を台無しにしたくない。
でもあるとき、ふと思ったんです。
この“完璧にやり切ること”って、誰のためなんだろう、と。
うまくいかない時間に、意味があった

火が消えた。
煙が目に染みた。
お米の炊き上がりが、ちょっと固かった。
「失敗したね」
そう言いかけて、飲み込みました。
代わりに、子どもがぽつり。
「じゃあ、次どうする?」
その一言に、ハッとしました。
うまくいかなかったからこそ、
“考える余地”が生まれていたんです。
新聞紙を足す。
風向きを変える。
釜の位置を少しずらす。
正解を教えなくても、子どもはちゃんと、目の前の火と向き合っていました。
親が手を離した瞬間、子どもが前に出る

全部を任せる必要はありません。
危険なところは、もちろん大人が見る。
でも、「失敗しそうな工程」まで奪わなくていい。
少し焦げたごはんを前に、
「でも、これ自分でやったんだよね」と誇らしそうに言う顔。
あの表情を見たとき、
失敗はマイナスじゃなく、経験の芯になると、腹の底で理解しました。
その夜は、それ以外は特別な感想もありませんでした。
「楽しかった?」と聞いても、「うん」とだけ。
でも、数日後。
何気なく開いた絵日記に、あの釜と火が描いてあったんです。
結び|失敗できる場所を、日常の中に
非常時に必要なのは、
失敗しない人じゃなくて、立て直せる人。
火が消えても、慌てない。
うまくいかなくても、投げ出さない。
その土台は、静かな日常の中でしか育ちません。
ちょっと失敗して、ちょっと笑って、
「次はこうしようか」と言える時間。
それを許せたとき、
道具はただの便利グッズから、
子どもを育てる“場”に変わっていく気がしています。
── この体験の前後を読む ──
・火を待つ時間に、名前はついていなかった
・便利すぎる夜、子どもは参加できなかった
・火の前に立った瞬間、子どもが「やる側」になった
ホーム » 気づいたら、絵日記に描いていた夜
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正解を探すより、
「この子の場合はどうだろう?」と立ち止まる時間を。
※唯一の正解はありません。その子に合うかどうかを、一緒に考えませんか。
\ 答えのない、子育ての迷いの中にいるあなたへ /
ブログでは「教育のヒント」を書いていますが、
実は私自身、毎日が迷いと後悔の連続です。
教科書通りの正解に傷ついたとき、
「この子の場合はどうだろう?」と立ち止まって、
静かに自分と向き合える場所をnoteに作りました。
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いっちー
元教諭(15年+)&プロカメラマン。
わが子の発達グレーやきょうだい児の葛藤に、涙でティッシュの山を築きながら向き合っている現役の母です。
教育の現場を知っているからこそ、外側から「正解」を押しつけられることの息苦しさや、もどかしさを感じてきました。
キラキラした正解の中で、無理をして生きるのはしんどいですよね。
「こうすべき」の前に、「この子の場合はどうだろう?」と、一緒に立ち止まれる場所でありたいと思っています。
子どもの絵に宿るサインや、言葉にならない心の機微をそっと眺めて。
今日をなんとかやり過ごすための「余白」を、一緒に見つけにいきませんか。


