墓じまいを終えたあと、
次に多くの人が立ち止まるのが
「遺骨をどうするか」という問題です。
お墓はもう持たないと決めた。
でも、その先の供養については、
正解が分からないまま時間だけが過ぎている。
樹木葬、永代供養、手元供養——
どれも間違いではないけれど、
「本当にこれで、家族に負担は残らないのか」
そんな不安を感じている方も少なくありません。

この記事の内容
墓じまい後、「遺骨の行き先」で止まる人が多い理由
墓じまいは大きな決断です。
手続きも多く、体力的にも精神的にも負担がかかります。
そのため、
- いったん遺骨を手元に戻したままになっている
- 供養方法を決めきれずに保留している
- 「急がなくてもいい」と先送りしている
という状態の方は珍しくありません。
けれど実際には、
遺骨の安置方法が決まらないこと自体が、次の悩みの種になることもあります。
よく検討される供養方法の違い

違いは「供養の形」よりも、
将来、家族がもう一度“供養について説明を受けたり考える場面が来る可能性があるかどうか”です。
| 供養方法 | 将来、家族に起こりやすい場面 | そのとき考えることになりやすい内容 | 費用の目安 |
|---|---|---|---|
| 樹木葬 | 霊園から供養形態について案内があることがある | 合祀の時期の確認 法要に参加するかどうか | 数万円台〜数十万円台 |
| 永代供養墓 | 一定期間後の供養方法について説明を受ける場合がある | 合祀になる時期の確認 法要の有無・内容の確認 | 10万円台〜50万円前後 |
| 手元供養 | 生活環境が変わるタイミングで見直す場面が来やすい | 子ども世代が保管を続けるか 納骨先を改めて考えるか | 数万円〜 |

「管理を残さない」という条件で考えると
供養方法を「気持ち」ではなく、
家族に何を残すか・残さないかという視点で見ると、基準が変わります。
ポイントになるのは次の3つです。
- 管理主体が家族以外で完結するか
- 更新・移転などの手続きが将来発生しないか
- 次の世代に「どうするか」という判断を渡さないか
この条件で考えたとき、
もうひとつの選択肢として挙がるのが海洋散骨です。
海洋散骨という選択肢
海洋散骨は、遺骨を粉末状にし、海へ還す供養方法です。
墓じまい後の供養先として選ばれるケースも増えています。

選ばれている理由
- お墓や納骨施設を持たない
- 維持管理が不要
- 将来の移転・改葬の心配がない
法令・ガイドラインについて
散骨は無秩序に行われるものではなく、
関係団体のガイドラインに沿って、環境や周囲への配慮を前提に実施されています。
専門業者に依頼することで、
必要な手順やマナーを守った形で行われます。
プランの種類
代理散骨:家族の代わりに業者が実施
合同散骨:複数の家族で同じ船に乗り実施
個別散骨:一組ごとに船を出して行う
立ち会いの有無や方法を選べます。
費用の目安
数万円台〜(プラン内容による)
事前に総額が提示されることが多く、追加管理費などは発生しません。
こうした点から、
「安心して任せられる供養方法」として検討されることがあります。

まとめ
供養に正解はありません。
どの方法も、それぞれの考え方に沿った大切な選択です。
ただ、
「何も残さない」
「次の判断を家族に渡さない」
という条件も、ひとつの大切な価値です。
選択肢を知ったうえで決めること自体が、
家族への配慮につながります。
今すぐ決めなくてもいいけれど
すぐに結論を出す必要はありません。
ただ、
- どんな方法があるのか
- 手続きや流れはどうなるのか
- 費用はどれくらいか
こうした条件を整理できる場所はあります。
無料で相談や資料請求ができるサービスもあるため、
判断材料として情報を持っておくことは無駄になりません。
「決める」前に、
まずは知ることから始める、という選択もあります。
ホーム » 墓じまい後、遺骨はどうする?「管理を残さない供養」という現実的な選択肢
この記事が「いいな」と思ったら、noteのフォローやYouTubeのチェックもお願いします!がぜんやる気になります!
正解を探すより、
「この子の場合はどうだろう?」と立ち止まる時間を。
※唯一の正解はありません。その子に合うかどうかを、一緒に考えませんか。
\ 答えのない、子育ての迷いの中にいるあなたへ /
ブログでは「教育のヒント」を書いていますが、
実は私自身、毎日が迷いと後悔の連続です。
教科書通りの正解に傷ついたとき、
「この子の場合はどうだろう?」と立ち止まって、
静かに自分と向き合える場所をnoteに作りました。
このブログはPRを含みます
いっちー
元教諭(15年+)&プロカメラマン。
わが子の発達グレーやきょうだい児の葛藤に、涙でティッシュの山を築きながら向き合っている現役の母です。
教育の現場を知っているからこそ、外側から「正解」を押しつけられることの息苦しさや、もどかしさを感じてきました。
キラキラした正解の中で、無理をして生きるのはしんどいですよね。
「こうすべき」の前に、「この子の場合はどうだろう?」と、一緒に立ち止まれる場所でありたいと思っています。
子どもの絵に宿るサインや、言葉にならない心の機微をそっと眺めて。
今日をなんとかやり過ごすための「余白」を、一緒に見つけにいきませんか。


