「最近、何を考えているのか分からない」
「話しかけても『別に』。でも机には、真っ黒な塗りつぶし……」
かつては「見て見て!」とカラフルな絵を見せてくれたわが子。
それがいつの間にか部屋にこもり、会話は単語だけ。
ふと目に入ったノートの端書きや作品が、以前とは別人のように暗い色ばかりになっていたら。

「もしかして、どこか病んでる?」
「私が追い詰めすぎたせい?」
直接聞けないからこそ、その「黒」の中に不吉な予兆を探してしまいますよね。
実は、思春期に色が消えるのは心が枯れたからではなく、あふれ出しそうな感情を守るために必死で「ふた」をしている状態なんです。
言葉を捨てて色で守る季節
なぜ、思春期に入ると絵から色が消え、線が鋭くなるのでしょうか。

言葉よりも安全な逃げ場所
思春期の子どもたちは、自分でも処理できないドロドロした感情を抱えています。 (更年期も自分で処理できないイライラを抱えています♡)
「なぜイライラするのか」
「どうしてこんなに恥ずかしいのか」。
それを大人に説明するのは、無理ゲーに近いものです。
言葉で理由を求められるのは、土足で心に踏み込まれる「攻撃」と同じ。
でも絵なら、誰にも意味を決めつけられずに吐き出せます。 モノクロの絵は、彼らにとって最も安全な「隠れ家」なのです。
反抗ではなく自分を守るサイン
会話が減り、絵が暗くなる。
これを「親への反抗」と受け取ると、私たちは苦しくなります。 でもこれは、自分を守るための反応であることが多いのです。
内面を誰にも侵されたくない。でも、心の中の圧を抜かないと壊れてしまいそう。 そんなとき、ペンが勝手に黒を選びます。 黒は不安の色であると同時に、すべてを拒絶して中身を守る「盾」の色でもあるんです。
「見守っていい絵」と「相談する絵」の境界線
親がドキッとする変化にも、実は心が成長している証拠という側面があります。 判断の目安を、日常生活の様子と合わせて整理しました。
【事実の確認】絵の色より大切な「生活」のサイン
| 見る場所 | 見守っていい状態 | 相談を考えるサイン |
|---|---|---|
| 食事・睡眠 | 普段どおりに 食べ、眠れている | 食欲が落ちた 夜眠れていない |
| 好きなこと | 趣味やゲームには 集中できている | 好きだったものに 興味を示さない |
| 会話 | 挨拶や事務的な 会話はできる | 全く口をきかず 視線も合わない |
※「絵の変化」だけを問題にせず、全体のリズムが保たれているかを確認してみてください。
伴走者の心得:その筆跡に触れない勇気
元教諭として多くの子を見てきて思うのは、「表現している限り、その子は大丈夫」ということです。 一番心配なのは、表現することすら諦めて、心が止まってしまうこと。
どんなに描き殴った跡でも、形にできているなら、自分の力で立ち上がろうとするエネルギーがまだ残っています。 よかれと思ってやってしまう「この絵、どういう意味?」という問いかけは、泥靴で心に上がるようなものかもしれません。
「見たけれど、あえて触れない」 この尊重こそが、彼らが求めている「見守られ方」です。
それでも不安が消えない夜に
わが子の暗い絵を見て、平気でいられない親なんていません。 もし、あなたの不安が限界なら、それはお子さんではなく「あなた自身のケア」が必要なサインです。

一人で抱えず、スクールカウンセラーや信頼できる場所に、あなたの「怖さ」を吐き出してください。 あなたが少し脱力して、「まあ、そんな時期もあるか」と笑えるようになること。 それが、お子さんへの一番の処方箋になります。
思春期の絵は、完成品ではありません。 大人へと変わるための、痛々しくもたくましい「途中経過」です。
「大丈夫かな?」と心配して、ここまで辿り着いたあなた。 その「見てくれている人」の存在だけで、お子さんは今日をなんとか踏ん張れていますよ。
いっちーのひと言
枠も、日付も、一行の線すらない。 何色を塗っても、どんなにはみ出しても、誰のルールにも縛られない「自由」がここにあります。 その子が今、真っ黒な世界を必要としているなら、気が済むまでその色を置かせてあげたい。 誰の目も気にせず、心ゆくまで「自分の色」を表現できる真っさらな場所。 その子の表現を静かに尊重し、見守るための、一冊の贈り物です。
ホーム » 思春期にノートを黒く塗る理由。見守るか、声をかけるかの基準
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正解を探すより、
「この子の場合はどうだろう?」と立ち止まる時間を。
※唯一の正解はありません。その子に合うかどうかを、一緒に考えませんか。
\ 答えのない、子育ての迷いの中にいるあなたへ /
ブログでは「教育のヒント」を書いていますが、
実は私自身、毎日が迷いと後悔の連続です。
教科書通りの正解に傷ついたとき、
「この子の場合はどうだろう?」と立ち止まって、
静かに自分と向き合える場所をnoteに作りました。
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いっちー
元教諭(15年+)&プロカメラマン。
わが子の発達グレーやきょうだい児の葛藤に、涙でティッシュの山を築きながら向き合っている現役の母です。
教育の現場を知っているからこそ、外側から「正解」を押しつけられることの息苦しさや、もどかしさを感じてきました。
キラキラした正解の中で、無理をして生きるのはしんどいですよね。
「こうすべき」の前に、「この子の場合はどうだろう?」と、一緒に立ち止まれる場所でありたいと思っています。
子どもの絵に宿るサインや、言葉にならない心の機微をそっと眺めて。
今日をなんとかやり過ごすための「余白」を、一緒に見つけにいきませんか。


