「一升餅って、やったほうがいいの?」
「背負わせたら泣いたんだけど、これで合ってる?」
「ちゃんとできなかった気がして、あとからモヤモヤ…」
1歳のお祝いとしてよく聞く“一升餅”。
でも実際にその日を迎えると、
思っていた通りにいかないことの方が圧倒的に多い行事です。
この記事では、
- 泣いた
- 立たなかった
- 背負わなかった
- そもそもやらなかった
そんな1歳あるあるを前提に、
「これでよかったんだ」と思える視点を、
少し肩の力が抜けるような形でまとめています。
この記事の内容
そもそも一升餅って、何のための行事?
一升餅は、
「一生、食べ物に困らないように」
「健やかに大きくなりますように」
という願いを込めた行事です。
ここで大事なのは、
“できるかどうか”を試す行事ではないということ。
立てたか、歩けたか、泣かなかったか。
そこに意味があるわけではありません。
本来は、
「ここまで大きくなったね」
と、大人がしみじみするための時間です。
泣いた・嫌がった…それ、1歳ではよくある話
実際の一升餅あるあるは、こんな感じです。
- 背中に乗せた瞬間、顔が固まる
- 立つどころか座り込む
- 泣いて抱っこから降りない
- 写真を撮る余裕がなくなる
SNSで見るような、
にこにこ笑顔で背負って歩く姿は、
ほんの一部です。
1歳の子どもにとって、
一升餅は
- 重い
- 見慣れない
- 急に何かを背負わされる
という、なかなかハードな体験。
泣くのは、とても自然な反応です。
親のほうが気にしてしまう理由
一升餅でモヤモヤするのは、
だいたい子どもより親です。
- せっかく準備したのに
- 記念行事だから
- ちゃんとやらせなきゃ
そんな気持ちが重なって、
「失敗したかも…」と感じてしまいます。
でも、1歳は
親の段取り通りに動く年齢ではありません。
思い通りにいかないのは、
成長が順調な証拠でもあります。
「立たなかった=意味がない」ではありません
一升餅でよく聞く不安が、
「立てなかったんです」という声。
でも、一升餅は
“立つ練習”の場ではありません。
- その場にいた
- 背負った(数秒でも)
- 親に抱っこされた
それだけで十分。
行事の意味は、
結果ではなく、その場を一緒に過ごしたことにあります。
一升餅、やらなくてもいい?
答えは、やらなくても大丈夫です。
- 子どもが体調を崩した
- 親が余裕がなかった
- 別の形でお祝いした
どれも、よくある選択です。
一升餅をやらなかったからといって、
成長に差が出ることはありません。
「やらなかった」という事実より、
「どう祝ったか」のほうが大切です。
最近は準備の選択肢も増えています
SNSや検索結果を見ると、
立派なセットや完璧な並び方が目に入りますよね。
でも実際のところ、1歳の子どもは
意味や設定を理解して選んでいるわけではありません。
最近は、
- 無料でダウンロードできる一升餅用カード
- シンプルな台紙データ
- 名前を書くだけで使える素材
など、手軽な選択肢も増えています。
また、
- 家にある物を使ったり
- ママが手作りしたカードを添えたり
そんな形も、とても素敵です。
大切なのは、
準備の完成度ではなく、その場の空気。
親が少し力を抜けているほうが、
1歳の子どもも安心して過ごせます。
写真や動画は「うまくいかなかった瞬間」こそ宝物
一升餅の写真で、
あとから一番見返すのは、
だいたいこんな場面です。
- 泣き顔
- きょとんとした表情
- 抱っこでしがみついている姿
完璧にできた1枚より、
そのときの空気が伝わる1枚のほうが、
ずっと記憶に残ります。
一升餅は「できたか」より「今」を残す行事
一升餅は、
将来を占う行事ではありません。
「今、この子はこうだった」
それを大人が受け取る時間です。
- 泣いた
- 立たなかった
- 抱っこから降りなかった
それも含めて、
今だけの1歳の姿。
まとめ|一升餅で泣いても、大丈夫
- 泣いても
- 立たなくても
- やらなくても
1歳のお祝いとして、
何かが欠けることはありません。
一升餅は、
親が安心していい行事です。
「これでよかったのかな」と思ったときほど、
たぶん、それで大丈夫。
▶︎ 1歳のお祝い全体の考え方や、他の行事については親記事でまとめています。
ホーム » 一升餅のお祝いってどうするの?1歳で泣いても安心していい理由
この記事が「いいな」と思ったら、noteのフォローやYouTubeのチェックもお願いします!がぜんやる気になります!
正解を探すより、
「この子の場合はどうだろう?」と立ち止まる時間を。
※唯一の正解はありません。その子に合うかどうかを、一緒に考えませんか。
\ 答えのない、子育ての迷いの中にいるあなたへ /
ブログでは「教育のヒント」を書いていますが、
実は私自身、毎日が迷いと後悔の連続です。
教科書通りの正解に傷ついたとき、
「この子の場合はどうだろう?」と立ち止まって、
静かに自分と向き合える場所をnoteに作りました。
このブログはPRを含みます
いっちー
元教諭(15年+)&プロカメラマン。
わが子の発達グレーやきょうだい児の葛藤に、涙でティッシュの山を築きながら向き合っている現役の母です。
教育の現場を知っているからこそ、外側から「正解」を押しつけられることの息苦しさや、もどかしさを感じてきました。
キラキラした正解の中で、無理をして生きるのはしんどいですよね。
「こうすべき」の前に、「この子の場合はどうだろう?」と、一緒に立ち止まれる場所でありたいと思っています。
子どもの絵に宿るサインや、言葉にならない心の機微をそっと眺めて。
今日をなんとかやり過ごすための「余白」を、一緒に見つけにいきませんか。


